聖の青春
松山ケンイチが激太りして演じた映画に興味があったけど、小説を読んでみた。
幼い頃から29才で亡くなるまで、病気と将棋と闘い続けた。
小学一年生が読むには難しい将棋入門の本を、
漢字は読めなくても、前後を何度か読み返せば大体のことはわかる
少し読んでは前に戻り一字一字かみくだいてはまた進んでいく、気の遠くなるような作業
羽生もやはり、小学一年生で将棋と出合い、ひたすら本を読んで勉強した
小学二年生、療養所生活では日常的に死があった
子供が夢中になることを親が惜しみなく支援する
小学五年生、将棋教室に通い六年生で中国こども名人戦で優勝。もう教室では強くなれないと、大人たちに混じって将棋道場に通う
中学一年生、プロになりたいと親を説得して奨励会にはいり、森信雄の弟子になる
(13歳、中学一年になった聖の)目標は谷川浩司名人ただ一人
プロになるためにはまず奨励会に入会する必要がある
そこから卒業しプロになるまで最短でも5年で18才
名人に挑戦するための資格がさらに最短でも5年で23才
谷川を倒すには一刻も早く奨励会に入会したい、そのために大阪に行きたい
中学一年生の命の残りを覚悟しながら、自分で目標を決めて、大人を説得する
明確な目標があり、そのための努力があった、自分の努力は自分の夢に直結している、やればやるほど名人に近づいていく
聖の奨励会入り
大人たちの理屈を一方的に押しつけ、子供の未来を次にする
つまらないメンツのために
聖の成績は抜群で、本人には何の非もない
同じ一年でも意味が違う、重さがちがう
中学二年生、森と一年間同居
皆、自由で汚ならしくそして腹を空かしていた。しかし、卑屈さを感じさせない
ごまかしや無意味な常識はこの子には通用しない。
中学を卒業し将棋に打ち込む。16才で初段
悔しいんだろうなあ、丈夫な体で思う存分将棋がしたいんだろうなあ、寝るまも惜しんで打ち込みたいときに、ただ横たわり続けなくてはならない。
17才、三段に昇段
将棋は強くなるのは難しいが弱くなるのは簡単である。二段に何年もいれば、二段の実力を維持するのも難しくなる
勝負は勝ってなんぼ、勝つのは当然、自分が勝つと信じている
その代わり負けた日は最悪、後悔だらけで何もできない
立ち上がって最敬礼なんてしてたまるか、お愛想なんか見せてたまるか
11月、四段に昇段、プロ
プロになって思うことは、勝負の世界としうのは何もないまっ白な世界、勝つということは相手を殺すということだ、そのことに時々耐えられなくなる
18才、C級1組に昇級
ボランティアへの寄付活動、麻雀と酒をおぼえる
村山の命を刻むように容赦ない秒読み、村山は身をよじり体のなかに残されたたった一滴の血を振り絞るように考え、駒を打ちおろす
読んで読んで読みすぎた結果、ほんのわずかのちょっとしたことが恐くなったんだと思います
いま負けたからといって挫けるわけにはいかない
繰返してきたあの努力をあの作業をもう一度やり直せばいいだけ
僕、今日20歳になったんです
20歳になれて嬉いんです、なれるなんて思っていませんでしたから
それでいいんや、それを知るために旅があるんだ
あの男何て強いんじゃ
羽生の見ている海は違う、自分とはまるで違うものを見ている
自分には見えなくて、羽生に見えているものはいったいなんなのか
22歳、天王戦決勝
体調悪く立ち上がることもできない、が指せなかったら引退
ボロ負けしたが、プロの責任を全う、勝ち負け以上の喜び
24歳、B級2組昇級
メモ:何のために生きる、今の俺は昨日の俺に勝てるか、勝つも地獄負けるも地獄、99の悲しみも1つの喜びで忘れられる、人間の本質はそうなのか、人間は悲しみ苦しむためにうまれたのだろうか、人間は必ず死ぬ、必ず
羽生との敗戦から自分の将棋を変革、終盤だけでなく、序盤の力を付ける
重要なのは序盤、相手にリードされず中盤にはいること
僕には時間がないんだ、勝ちたい、早く名人になりたい
23歳、谷川とタイトル戦
善戦するも0-4で負け
B級1組昇級、将棋大賞敢闘賞、一流棋士のなかま入り
もし病気でなければ、そう考えることには何の意味もない、病気が自分の将棋を強くし、ある意味では自分の人生を豊かにしている
聖はいろいろな人に助けられ、支えられて生きている
25歳、阪神震災、トップ10入り
自分に出来ることは何もない、ただ、この気持ちを将棋盤にぶつけ表現したい、自分にはそれしかない
滝誠一郎
自分の将棋言葉を恐れず飾らず、自分の持つ結論に不安も疑念みみ抱かない強さ
26歳、谷川に勝つ、癌の自覚症状
27歳、B1降級
持論を曲げない、曲げる時間も疑う時間も修正する時間ももう自分にはない
28歳、手術
点滴はいいところもあるが悪いところもある、自分で食べて栄養をつけなければ
まさか、あの体で将棋の勉強をしているとは、A級になった村山君があんなに真剣に棋譜を並べているとは
女流の棋譜は面白い、男は手の殺しあいみたいな展開が多い、女流はやりたい手をすべてやる、攻めだすとどんどん手がのびる
谷川:7月14日、丸山七段との1局は壮絶だった、この1局だけは絶対に盤に並べて、彼の名人にかける執念を感じとっていただきたい
29歳、A級復帰、癌再発
3月、5局を打ち休場
最後の力を、精神力を振り絞った宝石のような五局
羽生は村山にとって理想像、どんなに疲れていても弱音を吐かず、悔しくても飄々とし、いっさい偉そうなことを言わず、そぶりもみせない、誰とでも同じ目線で話し合い、会話を楽しめる
5月入院
薬は駄目じゃ、自分の体で治すんじゃ、と言い張ってジーと耐えている
7月、末期癌の痛みにも麻酔や鎮痛剤を拒否、ガリガリと歯を食い縛りながら耐え抜いた、すべては将棋のため、名人のために
8月8日午後0時4分
たとえ重い病気を患っていようと、またそうでないならなおさら、子供には限りない可能性がある
病気を長所と思い、人と違った面白い人生が歩める位の気持ちが大切、たくさんの体験をこの病気はくれた
時間が「薬」です