中野で観劇
チケットプレゼントに当選して、久しぶりにお芝居を観てきました。「面接の人達2006」
就職塾に集う人たちの、それぞれの就活エピソードを通して「就職する」ということをちょっと考えさせられました。
そもそも、なんでこんなにシステマチックに就職活動というものがあるのでしょう?学校卒業したら就職先が決まっていなくちゃいけない、履歴書・職務暦書・エントリーシートの書き方、証明写真はこうじゃなきゃいけない、面接ではこうしなくちゃいけない、そんなマニュアルを覚えて実践した人が就職できる?企業はそういう人材を求める?
以下、駄文が続きますので、読んでくださる方は寛大なお心でお願いします。
良くある質問に「どうして我社を選びましたか?」ってあるけど、そんなにその会社じゃなきゃいけない理由ってあるんですか?以前、某大手企業の社員の言葉で「私は『職』に『就いた』が、『企業』に『就いた』訳じゃない。この仕事が出来るところなら何処だって良い」というようなことを言ってました。
面接官だって受験者が面接の練習をしてきてるのを知ってるし、何社も受けようとしているのを知っているハズ。「面接には『自分らしい服装で』と言われてもスーツで行け」「普段着はスーツが常識」だとか、タテマエ同士の遣り取りと揚げ足取りで他人の何が解るんでしょう?
選ぶほうはハッキリ見える基準があると楽なんでしょうけど。それで「自分らしさ」とか、「あなたにしか出来ないことを求めてる」なんてチャンチャラおかしいですよね。
ただ劇中に「就活がムダだったと思わない。こうして真剣に自分と向きか合い、自分を知ろうとしたことはなかった」というセリフがありました。確かに自分のことを見つめ直す重要な機会でもあるし、「自分はこんな人間で、この仕事がしたい」ということを、具体的な形にしてハッキリ相手に理解してもらう努力も必要です。
「就職活動」って非常に労力のいることで、精神的にも追い詰められることがあります。それに振り回されて、つい大切な事を忘れてしまいがちですが、学校のテストでも社会の試験でもありません。これからの自分の生き方を探していくための準備だと思います。だから、誰にどんな点を付けられようが、何度面接に落ちようが、そんなこと全然問題じゃない。ただ面接に落ちることで、自分の弱点が浮き彫りになって落ち込むんですよね。それを次は埋めていけば良いんじゃないかと、派遣社員が偉そうなこともいえませんが、そんなことを考えながら帰ってきました。
なんか久しぶりに駄文をダラダラ書いちゃいました。本気で就活なんてしたこと無いヤツの文章で悪気は無いので、不快に思われた方はスッパリ忘れちゃってください。