あれから1年

去年の東日本大震災から、1年経つんですね。
当時はいろいろと大変だったので、今、1年前のことを振り返ってみました。

<震災当日 金曜日>
地震が発生した時間、私は職場で仕事中だった。経験したことのない大きな揺れに、目の前のパソコンのディスプレイを抑えながら、「関東大震災というのはこれくらい揺れたんだろうか」「このまま終わっちゃうの」なんてことが、頭に浮かんだ。


ようやく揺れが収まると、社内のアナウンスが「外は危ないので社内に留まれ」と。でも、6階の窓から外を見ると周囲のビルからは続々と人が避難していた。

しばらくするとお台場あたりで火災発生のニュース。職場からも煙が上がっているのを確認できた。
さらに被災地のニュースが入ってくる。すさまじい津波の映像。

ケータイは通話はもちろんメールも使えず、家族の安否もわからない。唯一ツイッターが使えたけど、身内は誰も使ってなかった。

交通機関もすべてストップし、駅周辺では移動できない人が階段に並んで座り込んでいた。この混雑状況は帰宅難民と呼ばれ、後に自転車通勤者や、勤務先に運動靴を常備する人が増えた。

私も帰宅はあきらめ、大勢の社員とともに社に一泊。夕飯は、買出しチームが周辺のデパートを回って弁当をかき集めてきてくれた。しばらくの間、食品や日用品の供給不足と一部の人の買占めから、スーパーやコンビニの陳列棚がスカスカの状態が続き、「いつごろ元に戻るんだろう」と不安になった。

社内では特別回線の電話で、社員が順次自宅と連絡をとる。

<震災翌日 土曜日>
一夜明けても混乱した状況は変わらず、交通機関も稼動しはじめたものの、動いては止まりの繰り返し。その状況を知る手がかりがツイッターだった。

朝、食事と様子見をかねて外へ。コンビには食品の棚はほぼカラの状態。近くの立ち食いそばも簡単な食事しか出来そうになかったが、少しはなれた立ち食いそばでは、まだいろいろ揃っていたようなので、ここでカツどんを食べた。食事が出来ること、店の中がなんとなくいつも変わらない感じなのがありがたく思った。

昼を過ぎても交通機関の混雑は変わらないようで、結局帰宅したの夜6時に社を出て、到着は8時頃だったかな。
自宅のマンションはまったく被害がなく、部屋も何一つ落ちたり倒れたりしたものがなくホッとした。

<震災3日目 日曜日>
実家の父から電話があり、「屋根瓦が落ちてシートを掛けたいが、こっちはどこも在庫がないから送ってくれ」という。こちらは被害が少なかったおかげで、近くのホームセンターで購入できた。しかし震災の影響で配送ができない。レンタカーでと考えたが、道路の状況もわかない。なんとか実家の近くまでは電車で動いていることを知り、また父も駅まではクルマで来れるということで、そこで落ち合い渡すことができた。屋根を覆う大きさのブルーシートはなかなか重かった。電車内ではけっこう買出し帰りのような姿の人も多かった。

<震災4日目 月曜日>
出勤しようとしたが電車が動いていないらしく、駅にシャッターが閉まったままの状態。これはもうお手上げなので、様子を見るしかない。昼前ごろにツイッターで動いてるという情報をみつけ出勤。帰りも早めの帰宅だったが電車の運行が遅く、時間がかかった。

<その後>
仕事柄、1週間ほど臨時で昼夜の交代勤務体制が組まれた。
「節電」が求められ、いつも明るかった街が薄暗く変わった。地域ごとに「輪番停電」が組まれ、いつ自宅の電気が止まるかとヒヤヒヤしながら、結局自宅は停電にならずに済んだけど、どれだけ余計なエネルギーを使っていたのかということと同時に、日本の治安の良さは夜の明るさにあるのかなと思った。

震災後、人や国のあり方や価値観など、いろいろなことが根本的に変わってきたように思いますが、でも昨日今日、身の回りを見ればなんとなくいつもと同じ生活に戻っていて、忘れちゃいけないなと思いました。

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