香港の

香港で激化するデモの理由を調べてみた

0701
犯罪容疑者の中国本土への引き渡しを認める「逃亡犯条例」の改正案に反対

1842年のアヘン戦争後にイギリス領
中国本土の政情不安や貧困、迫害などを逃れた人たちが香港に移り住む

1997
「一国二制度」の下に香港が1997年に中国に返還
返還から50年(2047年)は「外交と国防問題以外では高い自治性を維持する」ことになった。

返還後の香港は香港特別行政区となる
独自の法制度や国境を持つほか、表現の自由などの権利も保障
例えば、中国国内にありながら1989年の天安門事件について市民が追悼できる、数少ない場所

香港にはなお、中国本土にはない自由がある

それが減ってきている
人権団体は中国政府が香港の自治に介入していると批判
香港の書店員が次々と姿を消した事件や、ある富豪が中国本土で拘束されていることが分かった
アーティストや文筆家は、検閲の圧力にさらされている

もうひとつ問題、民主化

香港政府トップの行政長官は現在、1200人からなる選挙委員会で選出される
この人数は有権者の6%に過ぎず、その構成はもっぱら中国政府寄り

立法会の70議員全員が香港の有権者に直接選ばれているというわけではない
議席の大部分は、親中派の議員が占めている
有権者によって選ばれた議員の中には、忠誠の誓いを正しく述べることを拒否したり、「香港は中国ではない」と書かれた旗を掲げたりしたことで、議員資格を剥奪された者もいる。
香港の憲法ともいえる「香港特別行政区基本法」では、行政長官は究極的にはこれよりも民主的な方法で選ばれるべきだとしている。
しかし、もっと民主的な方法とはどうあるべきかについては、様々な意見がある。

中国政府は2014年
親中的な選挙委員会が選んだ候補者の中から有権者が行政長官を選ぶ案を発表
「見せかけの民主主義」だという批判が集まり、議会で却下された経緯がある。

基本法の期限が切れるのは28年後の2047年。
香港人は自分たちを中国人とは思っていない
法的にも、社会的にも、文化的にも違う

近年では中国本土に対する反感が高まっている
失礼な中国人観光客が地元のルールを無視したり、観光客の増加で物価が上昇したことなどへの反発

中国からの独立を訴える若い活動家もおり、これが中国政府を警戒させている

今回の抗議デモの参加者は、逃亡犯条例の改正案が通ってしまえば、中国政府による香港統治が迫ると考えている。

「この改正案が可決されれば、香港は他の中国の都市と同じになってしまう」

2014年12月
反政府デモ「雨傘運動」の残党を警察が排除した時、参加者たちは声をそろえて「私たちは戻ってくる」と宣言

1966年
香港のヴィクトリア・ハーパーで運航されているスターフェリーの値上げをめぐって抗議デモ
参加者はやがて暴徒化し、夜間外出禁止令が敷かれ、何千人もの警察官が街に配備された。

香港人はある程度の自治を持っているものの、選挙では自由が制限されている。
デモは自分たちの声を聞いてもらう数少ない手段

2003年
50万人が参加したデモで安全保障法案が却下
普通選挙権を求めるデモや天安門事件の追悼集会は、毎年の恒例行事

2014年
デモは数週間にわたって続き、香港人が自分たちで行政長官を決める権利を求めていることが浮き彫りになった
しかし中国政府からの譲歩はなく、このデモも失敗

香港
1842-1997まで155年間イギリスの植民地だった
1997に中国に返還されたが、外交と国防問題以外では高い自治性(香港特別行政区基本法)を有し中国にない自由がある
2019まで170年近く中国と切り離されてきた歴史があり、中国人ではなく香港人だと考えている
中国は香港を完全に中国の一部にしようとしてるが、香港は反発してる
香港政府は中国寄りで議員は必ずしも有権者が選んでいるとは言えない
デモは香港の民衆が声をあげられる数少ない方法
これまでも何度もデモ行ってきた
2047に「香港特別行政区基本法」の期限が切れるが、まだその後のことは不透明

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